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COLUMN | 善、即、悪

 

daft, INDIAN CREW として全国的に活躍する、東海地区を代表するHIPHOPダンサー『UC』による SOUL CITY NAGOYA COLUMN 第15弾!

 


 

 

どうもです。
改めまして、名古屋でダンス活動しているUCです。

 

さて、昨年後半から立て続けに3つ脳科学についてのblog記事をアップさせていただきましたが、ごく、ごく一部の人に「面白い」「興味深い」などと言ってもらえたので、調子に乗って、今度は哲学の話でもアップしたいと思います笑

またお付き合いを☺︎

 

よく、物事は何事もプラスの要素とマイナスの要素を持ってる。なんて言いますよね。僕もそう思ってました。どんなことも見る側面を変えれば、プラスにもマイナスにもなると。

 

でも、僕が勘違いしていたのは、ものごとにプラス・マイナス、すなわち“善悪”の両面があるということではなくて、実は“もの”には無記の一面しかなくて、善悪両面は人間のほうにあるということらしいです!

これも、以前読んだ本から学びました。

 

物事も、物体も、無記にただそこにあるだけ。そして、それを僕らがどう受け入れるか。

 

例えば、

『化学薬品』は無記、善に働けば薬、悪に働けば毒。
『刃物』は無記、善に働けば手術のメス、悪に働けば凶器のドス。
『火』は無記、善に働けば煮炊き、消毒、悪に働けば火災。

 

物体・物質だけではないですね。

『正義』は無記、善に働けば平和がもたらされ、悪に働けば戦争が起こる(それぞれの正義を守るため)。
『批判』は無記、善に働けば忠告、悪に働けば悪口。
『真理』は無記、善に働けば幸福、悪に働けば不幸。

精神そして、真理までも、すべてそうだと言えるんですね。

 

そりゃ刃物がそれ自体でメスやドスになるわけじゃないですからね。人間の手にかかることで、善や悪になるというのは納得できますね。ダイナマイトを発明したノーベルの苦悩が分かりますね!?

 

そう考えると、大切なのは元々無記のものをどうこうしようとすることではなくて、それを操る人間の主観こそを向上し、洗練させていかなければいけないということになると思いますよね。

 

ちなみにこういう考え方を、 仏教では、『善即悪(ぜん、すなわち、あく) 』というそうです。(ほんとに言われているかはちょっと調べきれませんでしたが。)

 

でも、深い言葉ですね。

 

ということで、大般涅槃経の功徳大天のたとえ話を1つ。

 

***

功徳大天というのは、絶世の美人で行く先々に幸福をもたらす者。彼女が着飾って、ある男の家を訪ねた。すると、その家の主人は問うた。

「 汝は 誰であるか 」
「 私は 功徳天である 」
「 何をするのか 」
「 私は 至る所に宝を与えるのである 」

 

これを聞いてその主人は喜び、その女を客間へ導き、香をたき、花を撒いてもてなした。間もなくして また一人の女が門前に立った。まことに 卑しい形装(なり)で、皮膚は破れ、衣も また 垢ついている。主人は言う。

 

「 汝は 誰であるか 」
「 私は 黒闇天である 」
「 何をするのか 」
「 私は 至る所の家から、そこの宝をなくするものである 」

 

これを聞いた主人は 刀を振り上げて、「 出て行け、行かねば殺す 」と言った。

しかるに 女は、

 

「 おお、汝は愚かな人である。今、汝の家に入ったのは 私の姉である。私は、いつでも姉と離れずにいるのであるから、私を追い出せば、一緒に 姉も追い出すことになるであろう 」

 

と言うので、主人は家に駆け込み、このことを功徳天に尋ねた。

功徳天は、

 

「 いかにもその通りである。私を愛するならば、妹も愛してくれ。私を尊敬するならば、妹も尊敬してくれ。」

 

と言うので、主人は二人とも追い出した。二人の女は 次にある貧しい家に行った。ここでは、喜んで二人を内に招じたということである。

***

 

この話に解釈にはいろいろあるのですが、一説では、仏さまが言われるには両方(の男)とも正しいのだと。

 

なぜなら、片方だけ取らなかった。片方だけ排斥しなかったところがいい。善悪両方受け入れる心を持つか、善も悪も受け入れない心を持つか、どっちかだと。

そういう説教の仕方だそうです。

 

要するに、悪を拒否して善だけとろうとしても、善を拒否して悪だけとろうとしても、ダメだというか土台無理だということだそうです。やっぱり、善を求め悪を排斥しがちになったり、悪に走り善を否定しがちになったりしてしまうけど、そうじゃなくて、悪も拒否せずに善に転化することが、ほんとの善を生む道なのかなとか思ったり。

だから、功徳天の、

 

「私(善)を愛するなら、妹(悪)も愛してください」
「私を尊敬するなら、妹も尊敬してください。」

 

という言葉もかなり考えさせられますよね。だから、『 善即悪 』という一見矛盾した言葉を、受け入れることができるかどうか。

 

矛盾を合理と思えるかどうかがキーポイントだということだそうです。

うーん、理屈でわかっていても行うのはなかなか難しいものですね。でも、善というか、目先の利に惑わされて、それによってもたらされる害とかに後から苦しむということはよくある話で、そこでその害を憎むのではなく、すべて受け入れて自分で選択していくことが大切なんだらうなと思います。

美味しいものほど、身体に悪いですしね笑

 

やっぱり、選択が大切ですね!

 

そんなこんなで、今年一年も、今を大切にしつつ、長く広い視点でも、ずっと楽しみ続けられるように、しっかり行動していきましょう(^^)

よろしくお願いします!!!