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COLUMN – 個性と学習

 

daft, INDIAN CREW として全国的に活躍する、東海地区を代表するHIPHOPダンサー『UC』による SOUL CITY NAGOYA COLUMN 第四弾!

 


 

どうもです。UCです。

 

先日のKENT氏のblogは面白かったですね◎
まさに読んだが勝ちの、価値ある記事でしたね

 

てことで、
僕は毎月の更新を目指しているんですが、
今月は彼に刺激を受けたので、書こうと思っていたことを少し変えて書きたいと思います(^^)

 

個性について。

 

まぁ、良く言われることですよね。
個性を持てと。
自分だけの○○
自分にしか出来ない☆☆
自分らしい**

 

KENT氏のblogにも書いてありましたね。
そういうのを追求してほしいし、
もっと自由でいいと。

 

これは僕も大いに賛同するところです。

ただ、それって、やろうとしてやれることじゃないし、作ろうとして作れるものでもないんですよね。

 

狙って出来るならみんなするし!
みたいに思う人もいるかもしれませんね。

てことで、
個性て何なのかな?
ということについて考えてみると、

 

個性
「他人とは違う、その人にしかない性格・性質」(広辞苑より)

 

という定義なんですが、

それに関して時折言われることとしては、
「誰ひとりとして同じ人はいないのだから、
そのまんまでみんなそれぞれに個性がある。」
ということですよね。

 

一言で言えば“十人十色”。
わざわざ違いを出さなくたって、あなたはあなたでオリジナル。
ということですよね。

 

これはこれで、真理に近いかなと僕は思います。
だけど、それでも踊りに対して、個性が“ある”“なし”が表現されるのはなぜか?

 

それは、
ストリートダンスにはストリートダンスの“ルール”があるから。
だと思います。

 

ルールがあるから、自由があり、
自由があるから、個性が光る。

 

こういうことが言えるんじゃないかなと思います。
どんな世界にも明文化されているいないに関わらずルール、秩序があるものだと思います。
HIPHOPにはHIPHOPのリズムがあり、ステップがあり、技があります。
それが全てではないけれど、そこを避けては通れないというか。。

 

(最低限の)同じルールの中で踊るのに、
違いが出るからこそ、
その“違い”に意味が出ると思うんです。

 

分かりやすく例えると、
みんなで同じランニングマンを踏もうと思って、
ランニングマンというステップの“やり方”を習ったとして、
そこから何回も何千回も何万回もそのランニングマンを練習したとして。
要はランニングマンというルールに乗っ取ってステップを踏みまくった結果、
それでも、どうしても抜けない癖があったり、
こうするのがどうにも気持ちいい!という自分の中でのツボがあったり、
必ずしもルールに忠実じゃなくなる瞬間が出てくると思うんです。

 

そうなってきた時に、初めてダンスの“個性”になるのかなと。
初めて“自分らしさ”が意味を持つのかなと。
そんな風に思ったりしています。
だから、俺は癖のあるダンサーは好きだし、応援したくなりますねw

 

まぁそういうことを拡大解釈していくと、
あくまで、基準や秩序やルールがあるからこそ、
その中で飛び越えていく上での自由がある。
と言えるのかなと。

 

結局、ただ奇をてらったり、人と無理に違いを出そうとしたり、むちゃくちゃやればいいわけじゃないんですよね。

 

個性や自由さを語る時に、“枠にとらわれない”て言ったりしますが、
逆に言えば“枠”がなければ生まれない言葉、
枠が意識出来ているからこそ、いや、意識していなくても感じることができているからこそ、
そこにとらわれずはみ出ることが出来るのかもしれないなと最近は思っています。

 

だから、たくさん学べば学ぶほど、
自由になると思うし、
人と人との違いを知り、受け容れることができるほど、
「自分」というものが確立されていくのかなと思います。
自分の「好き」なものが何なのか、「得意」なことが何なのか、
没頭する中で見えてくるのかなと。
ただ、先ほどの例でランニングマン1万回とか言いましたが、
これはただ踏めばいいわけじゃないんですよね!
同じステップを踏んだり練習したりしても、身につく程度には差があります。
それがどういう意味かを考えてみましょう。

 

ちょっと脳科学の観点から。
まず、練習とは何の為にするのか?
それは身体にダンスを学習させるためです。

 

学習するということは記憶するということです。
記憶するということは情報と情報を結びつけるということです。
必要な情報、不必要な情報を取捨選択して、
必要な情報どうしの結びつきを強める。
こういう手続きが記憶の中にはあるんですね。

 

そして、これを行うのが脳なんですが、
脳の中でそうした役割を持つもののひとつに“海馬”があります。
記憶中枢として有名な部位ですね。

 

この海馬は情動を判断する“扁桃体”を始めとした大脳辺縁系と呼ばれる系の中にあるんですね。
快・不快の情報を処理する扁桃体と、記憶を司る海馬が隣接しているというのは、
すごく意味のあることだと思いますね。

 

簡単に言うと、
“好きこそものの上手なれ”
のことわざが科学的に裏付けられてるといえるのではと思います。

 

人間は動物なので、
入力された刺激に対して、自分がとった反応によって、
快と判断される物質が産出されたら、
またそれを得ようとして、その刺激に対して、こう反応するという回路が強く結びつきます。

 

これを繰り返して、
自分たちの生理的欲求を満たし、
逆に生命の危険からは身を遠ざけられようになるんです。

 

実際はもっと複雑ですが、混乱するだけなので、
めちゃくちゃ簡略化するとそう言えるわけで、
結局、好きだからたくさん踊る。
たくさん踊るからもっと心地よくなる。
もっと心地よくなるからもっと好きになる。
もっと好きになるからもっと踊る。
そのうち自分だけの踊りになっている。

 

こんな感じかなぁと。
ただ漠然と踊っている人と、
とにかく音楽が好きで、音楽感じながら身体動かしている人ととでは、
エンドルフィンの分泌が違うわけで、身体の学習がまったく違うのでしょうね!

 

これは基底核などを介した「教師なし学習」と呼ばれるものですね。

 

一方で、「教師有り学習」と呼ばれる回路もありまして。
これについてはKENT氏の前回blogにも書いてありましたが、練習の時のイメージが大事になります!
要は自分の中でイメージ(=正解)がないと、自分のとった動き(反応)がその正解に近いかどうかが分からないってことですね。

 

動作に対してフィードバックをして、正解との誤差を埋めていく。
というのが小脳を介した教師有り学習と呼ばれるものですね。

 

ちょっと話が見えなくなってきましたね笑

まとめます。

・個性なんて誰にでもあるものであって、ムリに出そうとするものではない。

 

・秩序やルールがあるからこそ、自由がある。

 

・好きこそものの上手なれ 。

 

・好きだ、かっこいい、面白い、と思うものを強くイメージする。

 

まぁ、とりたてて普通のことでしたね。笑

 

でも、普通のことを結論出すために、いろいろ考え、感じることは決してムダではないと思います。
ただ答えを求めるのでなく、そこに至るプロセスにも、個性はあると思います。
みんなで紆余曲折していきましょう!

単純に、面白いやつ、かっこいいやつが増えてほしいです。

 

それぞれの価値観で。

 

制度や差別から逃れ、自由を得るために生まれたHIPHOP。

 

自由とは何なのか?

 

ずっと僕らに考え続けさせてくれるきっかけを与えてくれているように思います。

 

だからこそ、僕はこの文化が大好きです。
もっともっと知りたいし、深めたいし、飛び越えたいです。

 

2月も今日で終わり。3月もいっぱい踊って過ごしたいですね。

 

ではでは。